縁のある地で挙げた結婚式の写真とその地の歴史を見ながら記事を書いてみたいと思っています。勝手な歴史考察を含めてなので間違いがあるかも知れないので、まるのまま信じないでね。本サイトはプロフィールページにリンクがあります。
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カテゴリ:長野( 3 )
小諸の山間で見てみたい、遠い歴史。
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小諸といえば懐古園、そして島崎藤村。
この懐古園は小諸城というお城でした。

ここに最初に屋敷を建てたのは木曾義仲の配下の小室太郎光兼という人だそうです。木曾義仲は源氏で頼朝、義経とは従兄弟なのですね。
しかしなぜここに小室太郎光兼は屋敷を建てたのでしょう?やはり川を背負うという形やその切り立つ地形が戦略上良かったのでしょうか?
もし戦にそなえての場所だとすると、それは正しい判断だったのでしょうね。
その後の武家戦国時代にも同じ場所でお城が建てられ、難攻不落にすら見える一見変わった穴城となったのですから。


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この地は島崎藤村や千曲川、小諸城址に出来た懐古園など何か風情のような印象ですが
小諸の町のすぐ北東には浅間山が存在し、ここに住む人々は何度もその噴火を目撃してきた事だと思います。
そして、そんな火山という、荒々しい自然の麓には旧石器時代の遺跡があったりします。
小諸という町の中には「弁天清水」という名水もあり、ここもまた旧石器時代から人が生活をしていたと言われます。
人は豊かな自然とともに生きて来たのですね。


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ところでこの写真にある神社は海野宿にある白鳥神社です。
真田氏の縁の神社で、これまた歴史的にとても古い神社のようです。ただ、創建がいつだったかは定かでは無いようです。
そして「平安時代にこの地に鎮座していたことは、明らかである。」(公式ホームページ)と、なんだかいつものパターンです・・。
そして日本武尊も登場しちゃいます。て言うかこちらの神社の主祭神は日本武尊です。
で、いつものように、その前が知りたいのですよねぇ。
でも、それはまさに想像でロマンでしか無いのです。
ただ、この千曲川沿いにも縄文の痕跡はたくさんあり、少し北側の山に登ると旧石器時代の遺跡も出て来るわけで
隣町の小諸でもその向こうの軽井沢でも同じように古くから人々がそこに暮らし
火山と大きな川と、そこから得られる恵みと災いとを受けながら生きて来たのだけは間違いが無く
そうすると、2千年よりも前の生活に思いを巡らせてしまうのです。
きっと千曲川の水量も今とは違うのだろうなぁとか。
森の木々の太さや山の濃さ、生きている動物達、夜の深さ、静けさ、星の数・・。

山間に生きる二千年前の人達の音を聞いてみたいなぁと思ったりします。








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by furusatodiscovery | 2015-06-12 21:33 | 長野
軽井沢、縄文の生活、交通の要衝、宿場町、避暑地という変遷。
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軽井沢
この地名を聞けば、すぐに思い出されるのが避暑地です。
軽井沢が避暑地として定着したのはACショーという宣教師が明治19年の夏に軽井沢に訪れた際に、この地をとても気に入って、明治21年には家を建てて一夏を過ごし、これが軽井沢別荘のはじまりで、それからショーは仲間たちに軽井沢を勧め少しずつ別荘が建ち始め、その後碓氷新鉄道(後の信越線の一部)の開通により急速に避暑地として発展していったそうです。
(上と下の写真はショー記念礼拝堂の結婚式の時の写真です)


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時代は明治、文明開化の時代です。西洋文明をどんどん取り入れていた時代で、軽井沢にもホテルが建ち、避暑地という文化も華やかに開いたのでしょう。
軽井沢は仕事以外でも良く訪れた土地で、その別荘地は日本では無く西洋のような風景です。それがまた、日本人にはとても憧れるような場所となったのでしょう。
生い立ちが海外の人から始まった避暑地ならば、そんな風景も土地の持つ特性だけでは無く要因として上げられるのだろうな。そう思ったりします。


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ところで軽井沢が避暑地になる前はと言うと江戸時代は宿場町だったそうです。
中山道の宿場町であまり畑作などの作物に恵まれなかったと言われるこの地では宿場としての実入りはとても大事なものだったと。
ところが明治になって碓氷新道が開通するとその宿場町にはお客さんが来なくなって決定的な打撃を受けたと・・・そして恵みの神とでも言うのか前述したACショウさんが訪れて線路も敷かれて・・・。


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ではでは、江戸時代の前は?というと馬の産地としてあったようです。
馬の産地と言っても牧場のように育てると言った感じでしょうか?馬はモンゴルから古墳時代に輸入されたと言われていて、元々この島に居たわけでは無いと思うので、日本では最初から人に飼われている感じですね。
それとやはり交通の要衝ではあったとも言われています。
古くはまたもや日本武尊の話まで出て来て北陸と関東を繋ぐ道だったと、、、道というのは現代のように山を削ったりデカイトンネルを掘ったりはせずに、地形にあった形で通れる場所を探して、それがいつか自然と道になっていったと思われるので、そう多くは存在しないし、ずっと使われるものだと思うと、やはり碓氷峠は古くから人の足跡のある場所だと言えるような気がします。


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そして、その前、となると縄文期に入って行くのですが
さすがに目の前に浅間山があるわけで、古代の人達が浅間山の麓で生活する事は無いだろうと思ったりするのですが、実は違うのですね。以外と浅間山麓での生活跡が見付かっています。
僕たちは浅間山は活発な火山活動の山として知っていますが、大規模な噴火や爆発、火砕流などは今でも古代でも毎年のように起こるわけでは無く、数十年、数百年、千年単位の活動で、だからこそ、そこに何かを感じながら生きていたのかも知れませんね。








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by furusatodiscovery | 2015-06-04 15:30 | 長野
諏訪の地は、山がいい。
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諏訪大社
『その期限については知る術もありません。』と公式サイトに書いてあります。
きっと公式な文献が無いのでしょう。
そりゃ無いですよね。
諏訪大社で有名な御柱祭の起源が何であるのかも「説」として色々あるわけですしね。
ただ、文献上に出て来るだけでも旧いのですよね。昔からある神社なのです。

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この神社に何度か結婚式の撮影で伺いました。
不思議とご縁のある土地であったりするようです。
ほとんどの新郎もしくは新婦が、この土地のご出身の方で、その方々はやはり諏訪大社で結婚式はしたいというご要望でした。

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そんな中でこの地とは出生の縁がある分けでは無いのだけれど、まだ恋人同士の頃に遊びに来た諏訪大社をご覧になって「ここで結婚式をしたい」と思った方がいらっしゃいました。
なぜ、そう思ったのかを尋ねると「山が良いのです。」と答えられました。
実は僕も諏訪大社は山が良いと思っていました。
現在ある諏訪大社上社本宮の山は曇りの日が良いです。天気が良いと手入れされた山が透けてくるのです。
それよりも太陽の光が強く刺さない曇りの方が山を感じられる。山の濃さとでも言うのでしょうか。そんな気がしました。
そのお客さんを撮影するようになってから諏訪大社上社では山を意識して写真を撮るようになりました。

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その後自分でも諏訪大社を少し調べるようになって諏訪大社上社前宮に行きたいと思うようになりました。
そこは今の上社よりも山の上の方にあります。公式サイトでは『古くは神殿に付属したお社でした。高台で豊富な水や日照が得られる良き地で、御神際が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。』とあります。
ここから始まったとされているようです。
もう少し調べると神体山が守屋山というのが出て来たりします。ここを探り続けるとパワースポットとかいう今風の言葉が多く出て来るので僕はパスです。(苦笑
ただ、山を神様として崇めるというのは良くある話です。
山や川、木、岩、海・・・多くの自然を神とする八百万の神の思想はとても日本人らしいと感じます。今でも普通に色々なモノに話しかけますからね僕たちは。。車くん頑張って走ってねみたいな。(ちょっと違う?)
そんな事を色々と見ているうちに小袋石という凄い石のある事を見つけました。
どうやら、この石の突端に舟を繋げたという事であったりする話もあるらしく、もし本当だとすれば昔々はこのあたりまで諏訪湖があったという事になるのですよね。
それは現在の諏訪の街は湖の底で、大きいと思っている諏訪湖も実は今ではずいぶん小さくなったという事なのですよね。
あ〜〜凄い景色を想像してしまいます。
そして、この小袋石と磯並社は今でもちゃんと祭られているし、たとえ祭られていなくても、そんなことは関係無く、荘厳な雰囲気を漂わせているのです。
諏訪を含めた八ヶ岳周辺は縄文遺跡が数多く発見されている場所で当時と今とでは湖や川の形は変化していると思うのですが
その山などの大まかな形はそのままであろうと思うと、その当時の人々が夜と昼との明かりの中で自然の音と色に囲まれながら
どんな暮らしをしながら何の会話をしていたのだろう?そんな想像をしてしまいます。








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by furusatodiscovery | 2015-04-14 00:25 | 長野