縁のある地で挙げた結婚式の写真とその地の歴史を見ながら記事を書いてみたいと思っています。勝手な歴史考察を含めてなので間違いがあるかも知れないので、まるのまま信じないでね。本サイトはプロフィールページにリンクがあります。
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カテゴリ:千葉( 3 )
香取神宮は香取海が目の前にあったであろう件。
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香取神宮と言えば千葉県内の神社の中では最も古い部類に入り(というか言い伝え通りなら日本でも最古の部類・・)、そして歴史的にも重要な役割を果たした時期があると言われている神社です。
古いというといつ創建なのか?なのですが神武天皇まで言ってしまいます・・。
なので不明というところでしょう。それでも文献に出てくる中でも8世紀の初頭に書かれたと言われる風土記にそれらしき「香取神子之社」として分祠の記載があるようで、古いんです。
ま、奈良時代という事なので、朝廷の力を東国に広めようとはしたものの、まだまだその力はそれほど大きく影響を及ぼしていなかったのでは無いか?と思われます。


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香取神宮は実は海の近くに建っていました。
昔の利根川は江戸湾に流れ込んでいました。江戸時代の東遷事業によって流れを変えられ今の利根川となったのですが、その前は現在の犬吠埼の辺りに流れ込んでいる川は鬼怒川などでした。ただ大きな流れというよりも海、香取海や香取浦と言われる内海だったのです。内海は縄文海進から続く海水の流入がまだ引いていない状況で現在とは海抜の高さも違うという事だと思います。その大きさは現在の霞ヶ浦や印旛沼などを含むものでとても広大な内海でした。
水の豊富なこの地域は昔は水上交通による独自の文化圏が存在していたと言われ、縄文時代の丸木舟も多数出土しています。人々が遥か昔から、この地に住み、海の幸、山の幸、川の幸の恩恵を受けていたのだろうと思われるのです。
そして水上交通というのは当時の交易に置いてはとても便利なものであったと思われ、きっと多くの交流もされていたのだろうなと思います。

香取神宮は鹿島神宮とよく組で言われるのですが
その一つの要因として香取海を挟んだ神様という事が言えます。香取神宮と同じように鹿島神宮の建つ場所も海の近くだったのですね。
大きな内海を渡るのに危険はつきものだったと思われ、神宮として社が建つ前から民間信仰の神様がその地にあったのでは無いかな?
そう思えてなりません。

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香取神宮の本殿の裏手には小さなお茶屋さんがあるのですが、そこの屋上に登りますと遠く利根川が臨めます。
ここに立って利根川の方を見ていると数千年前はこの目の前まで広大な入り江があり遥かに続く香取海、そんな景色が見えて来るようで気持だけは一気に縄文時代へタイムトラベルです。


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香取神宮は何度となく結婚式の撮影でお伺いさせていただいているのですが
さすがに古い神社だけあって、とても緑が豊で、それだけでも何だか有り難い気持にさせてくれます。
最近社殿の屋根などを改修され、とても奇麗な茅葺きの屋根になったのですが
この写真はそれ以前の屋根の様子です。
茅葺きの屋根の上に草が生えています。
僕は何となく優しさを感じました。








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by furusatodiscovery | 2015-06-03 19:58 | 千葉
実は城下町?のはずだった千葉県松尾町
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ここは千葉県の山武市にある松尾町という場所です。
最近までは市町村単位では松尾町でした。
例の平成の大合併で松尾町は山武町、成東町、蓮沼村とくっついて山武市となりました。
ただ、松尾町の松尾という地名は山武より遥かに旧い地名です。
僕の調べた古地図では約千年前の古地図にもその名前が記されています。
山武郡という地名が出来たのは明治も30年の話で山辺郡と武射郡が合併されて出来たので本当につい最近の話となります。




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松尾という場所は九十九里平野の際を中心としている町なので、それこそ旧石器時代から人が住み
6000年程前から海が引いて行き九十九里平野が出来上がるのを長い年月見ていた土地とも言えるわけです。
このあたりは数々の古墳や土器も見付かっているのですが
今回はそこでは無く、写真がせっかく松尾駅前なので松尾城の話としていこうと思います。




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松尾城はなんと明治2年の築城でした。江戸時代が終わってからの築城というのは意外な感じがします。
ただ、考えてみれば人々の営みは年号によって支配されるのでは無いのですよね。
年号が代わり江戸幕府が大政奉還をしたからと言って突然何もかもが変化するというのは現代でも考え辛く、なので明治維新のあの頃ならば当然、今までとこれからの移り変わりは、時間があったと思います。
少し細かく時代の背景を言うならば
版籍奉還で遠州掛川の大名太田資美がやってきて稜堡式という五稜郭と同じ西洋風の城を建て始めた。
という事のようです。
ただ明治七年には廃藩置県を受けて築城を中止したという事で完成を見ない幻の城となったのですね。
ちなみに太田資美は江戸城も築城した太田道灌の子孫でその彼がどんな城を建てたのか、完成も見たかったような。
まぁ、このあたりの土地では江戸時代には、それなりに繁盛した地域もあったようなのですが
明治になり政府という形でどんどんと西洋化が進み
そして、戦後はいっそうの中央に集まる仕組みが出来上がったようで
以前の繁栄は嘘のようになっています。
松尾という地域は、お城を建てていた時には侍屋敷が並び、一瞬の城下町的雰囲気があったのかも知れませんね。








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by furusatodiscovery | 2015-04-06 21:59 | 千葉
水郷の町佐原を歩く
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千葉県にある佐原市は水郷の町として知られています。
その街並は昔ながらの風情を残し、今ではテレビの撮影や雑誌の撮影等でも使われる事があります。
この水郷佐原として発展したのは江戸時代からで、もともとは江戸湾に流れていた利根川を徳川家康の命により今の銚子に向けて東遷をした事から生まれたものでした。
利根川や渡良瀬川が江戸湾に注ぎ、凄い洪水が起きたという事や舟を使った流通の事など様々に理由があったようですが、利根川の姿を変えてしまうというのは凄過ぎます。。
しかし、そのおかげで佐原は大きく発展しました。
今では文化財の指定を受けた家や店が並ぶ「風情」という言葉が似合う街ですが、当時はとても賑わっていたのでしょう。
文化財の指定と言えば、住んでいる家を文化財に指定されると有り難いようで実はとても困るという話もあります。
なぜなら、勝手に新しい家に建て替えるなどは出来ないからです。
旧いものを大事にするのは良い事なのですが、時代が流れ昔とは違う建材で家を作り補修するようになった現代では、当時の状態を維持するには大変なお金と努力が必要になるようです。


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佐原の歴史は当然江戸時代から始まったわけではありません。
元々人が住んでいました。
いつからと言えば旧石器時代からです。
このあたり数千年前は海というか川というかの広大な入江が入り組んでいた場所であり
縄文海進から少しずつ海が引いて出来た土地ではあるものの
少し高い場所となれば元々陸地のところも多く、そうなると海の幸も川の幸も山の幸も獲れる良い場所でもあったわけですね。
この近くには香取神宮という古い神社もあって、そこも元々人が居た場所なのでしょう。
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by furusatodiscovery | 2015-04-05 21:59 | 千葉