縁のある地で挙げた結婚式の写真とその地の歴史を見ながら記事を書いてみたいと思っています。勝手な歴史考察を含めてなので間違いがあるかも知れないので、まるのまま信じないでね。本サイトはプロフィールページにリンクがあります。
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桃源郷かと見まごう場所で福島県の自宅結婚式
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福島県飯坂。
ちょうど桃の花が咲く頃に伺いました。
遠方の場合は前日着で伺います。前日に現地に到着した時には雨が振っていました。少しだけ靄のかかった山村の景色の中で桜よりも濃い色の、でもきついわけでも無い、奇麗な桃色の花の咲く木を見つけました。「あんなところで写真が撮れたら奇麗だろうな」そう思いながら車を進めました。新郎の実家に到着し「桃色の花」の話をすると、それは桃で(笑)新郎の実家は桃畑を営んでいる農家さんだったのです。
次の日の打ち合せをした後に、新郎にお父さんの桃畑を案内してもらいました。家を出て少し歩くと、大きな、なだらかな谷が広がります。その谷が一面の桃畑でした。見た瞬間に「桃源郷」という言葉が頭をよぎる美しい景色でした。

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ここで、桃なのですが、いつから桃は日本にあるかと言うと、その歴史はとても古いものです。
弥生時代の遺跡から桃の種子が見付かっています。古事記や日本書紀にも出てきます。桃は果物の中でもとても古く、日本人には馴染みの深い果物なのですね。
この飯坂ではいつから桃の栽培をしていたのかは僕には調べられなかったのですが近くの伊達の桃の歴史は少し垣間みる事ができました。
江戸時代の中期から後期にかけては桃や桜の開花時期が書かれていて、花を鑑賞する楽しみというのが主流としてあったようです。ただ実の中には、とても甘い実があった事から品種改良を重ねて今のように甘い桃ができたようです。
大昔から桃の実は食べられていは居たのですが、どうやら美味しい実は稀少だったのでしょうね。

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飯坂の歴史は、やはり縄文時代からあります。長い縄文時代の中でも温暖であった8000年前頃は列島の人口は東に集まっていたという説があるように、福島県でも当然のように人々が生活をしていました。
縄文の時代は大陸の文化が入る事により終わりを告げて行きます。現在の調査では縄文と弥生の最も大きな変化は稲作であると言われていて、それが時代を大まかに区分する一つの目安のように言われるのですが、実際には当然の事ながら列島の全土がある時期に一気に変化するわけでは無いので弥生時代と年代的には言っても場所によって、まだ縄文文化であったりするのだろうし稲作をしていても西と東では人々の生活は大きく違うだろうと予想します。ただ、場所によって「時代」の名前を変えると、ややこしいという事なのでしょうね。だから日本の歴史は列島の歴史としてしまうのでしょうが、それは少し乱暴な分け方だなと思います。こんなに小さな島国なのだけれど、大陸の文化の流入における劇的な変化が列島の隅々まで進むのは最初の流入から長い年月を経て行われていくので、当時の情勢を反映する言葉で違う名前にしたり、何も反映しない名前にしたりする方が時代を感じるには適当なのでは無いかな?と思ったりします。

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話は飯坂から少し広げて福島県の歴史に入ります。
福島県は陸奥の入り口という事もあり東北の中ではかなり早いうちに、大陸の文化の流入があったようですね。
それは、やはり大きな古墳が5世紀頃にはどうやらあったという事から解ります。古墳があるという事はその地域に有力者(権力者)が生まれているという事ですね。やはり定住し作物を作り大きな里を作るようになると、どうしても上下の関係はできてくるのでしょう。それに稲作は大陸からの輸入によるものなので、稲作と同時に大陸の文化も輸入された見るのが普通だと考えれば、お隣の国では当時の日本より遥かに政治的な戦いが繰り広げられていたわけで、その社会的な仕組みの導入はあったのだろうと考えられ、人口の拡大と同時に上下関係のシステムも導入されたと言えるのかも知れませんね。とにかく激動の時代の始まりと言うわけです。
古墳文化の最北端はどうやら宮城県の中央部辺りのようなので、ヤマト王権の力はかなり早いうちに陸奥へ伸ばされようとしていたみたいですね。
そして県北の現在の福島市や伊達市の辺りに信夫国が作られ、そこより以北の陸奥国(蝦夷の地)との境とされたと言われています。
ただ、5~7世紀あたりの大和朝廷は自分達の権力争いも忙しかったり、また蝦夷地に対する差別もあったようで、陸奥に対する力の入れ方は、まだまだ小さかったようです。
しかし、その後、かの有名な蝦夷(えみし)の英雄、阿弖流為と田村麻呂の戦いや安倍貞任、藤原経清と源義家との戦いなどを経て、徐々に列島を牛耳ろうとする勢力は朝廷のような公家から武家へと変化をして行き、陸奥にも平泉という大きな都が出来るものの、それは頼朝によって滅ぼされるのですね。
ただ、この長い間も、終始一貫として蝦夷、俘囚などと差別をしてきた事に変わりは無いようです。
逆にこれが一つの大きな自己を保つ意識となって長く陸奥の地に根付く「らしさ」になっていくような気がします。
それは現代では、ほぼ忘れ去られてしまったかのような「国」とは何であるのかを考えるきっかけになるものを東北の歴史は与えてくれるように感じます。
その思いは遠く縄文の民に通じる意識であって、「国」という単位とは違う世界で生きている事を考えさせてくれます。

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福島から北の東北という地について書こうとすると、どうしても筆が止まります。
その理由は僕らが学校で習った歴史とは違う歴史が、わりと近い時代で見えてくる気がするからです。
日本の歴史の教科書は常に古事記や日本書紀からが史実のようであり、それ以前の歴史は発掘、要するに土の中から出て来た遺跡になってしまうと感じるからです。
その土の中の歴史という印象は我々の近隣の祖先(2千年程度前の人達)はまるで恐竜と共に生活でもしていたかのように想像させてしまっているような気がしてなりません。
しかし東北の陸奥の歴史に触れて行くと、実は史実とされている歴史の時代にも、史実の前とされている文化で生きている人達が居たのだという事が見えて来て、土の中からしか見えなかったと感じていた事が、実は最近まで、それがあったのだと解ります。
明治まで東北の奥地には蝦夷の民として生きていた村が存在していたのです。

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現代の時代とは明治維新以降、積極的に導入してきた「欧米」の文化が列島を席巻している時代だと言えます。それはとても大きな変化でした。
しかし、この列島の大きな変化は実は二回目で最初の大きな変化は2千年程前の中央集権主義、律令国家だったと言えると思います。
そして、その二つは似ているのです。
そして全く似ていない文化がその前にあったという事実を、単なる原始人の生き方として見るのは、やはりもったいないと思います。
なぜなら、1万年以上の間、個人の憎しみは存在していても部族間闘争が無かったと思える文化なのですから。(現在に至までの発掘調査では縄文時代の部族間闘争の跡は見付かっていない。)

その智慧が東北の歴史に存在するのでは無いか?そう思えてなりません。








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by furusatodiscovery | 2015-08-20 13:48 | 福島
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