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根津神社 公式サイトによると千九百年余の昔に日本武尊が千駄木の地に創祀したと書いてあります。 その後太田道灌が社殿を奉建しているとあります。 そして、江戸時代に五代将軍徳川綱吉は世継ぎが定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座したと。 これを今風に言うと2世紀頃に日本武尊が千駄木に初めて神様を祭りましたと そして15世紀頃に太田道灌が社殿を建てました。 太田道灌と言えば江戸城の築城で有名な人ですね。 その後、17世紀の後半に5代目の将軍となった徳川綱吉が社殿を奉建して千駄木から現在の場所に移したという事です。 徳川綱吉というと「生類憐れみの令」が有名です。なんだか悪法と言われているこの「生類憐れみの令」ばかりが目立ちますが、とても学問に対して興味を持っている方のようで、将軍時代の前半は徳を重んずる政治をして、戦国時代の暗い雰囲気を排除したとも言われているようです。 言い伝えと史実が混ざっているとでも言うところなのでしょうか?でも、こういう形が日本の歴史にはとても多いですね。 特に7世紀よりも前になってくると、どこまでが本当の事なのか、あれ?と思う事は往々にしてあるようです。 ところで現在の根津神社が建つ前の旧社地とはどこなのでしょう? 千駄木の団子坂北という事のようなのですが・・・。 何にせよ、団子坂の下である事は無いと思われます。 というのは、今の不忍通りは江戸時代は川だったはずですし、団子坂の北の方で下へ(東側)降りれば畑が多くなるようなので やはり高台に建っていたのでは無いかと思います。 神社が建っている場所は元々神社として建った場所と民間信仰のあった場所が神社になったところと両方あると思います。 旧社地はきっと後者の民間信仰があった場所のような気がするのは気のせいでしょうか? そこは遥か昔は東京湾が入り組む入り江の近くであるわけで、そんな景色に思いを馳せても、今はその周辺は家が密集する住宅地であったりするわけで、今その地に立っても何も感じられる場所では無いのかも知れません。 いや、もしかすると以外といい場所であったりするのかな?
by furusatodiscovery
| 2015-06-01 14:45
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