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縁のある地で挙げた結婚式の写真とその地の歴史を見ながら記事を書いてみたいと思っています。勝手な歴史考察を含めてなので間違いがあるかも知れないので、まるのまま信じないでね。本サイトはプロフィールページにリンクがあります。
by furusatodiscovery
実は城下町?のはずだった千葉県松尾町
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ここは千葉県の山武市にある松尾町という場所です。
最近までは市町村単位では松尾町でした。
例の平成の大合併で松尾町は山武町、成東町、蓮沼村とくっついて山武市となりました。
ただ、松尾町の松尾という地名は山武より遥かに旧い地名です。
僕の調べた古地図では約千年前の古地図にもその名前が記されています。
山武郡という地名が出来たのは明治も30年の話で山辺郡と武射郡が合併されて出来たので本当につい最近の話となります。




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松尾という場所は九十九里平野の際を中心としている町なので、それこそ旧石器時代から人が住み
6000年程前から海が引いて行き九十九里平野が出来上がるのを長い年月見ていた土地とも言えるわけです。
このあたりは数々の古墳や土器も見付かっているのですが
今回はそこでは無く、写真がせっかく松尾駅前なので松尾城の話としていこうと思います。




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松尾城はなんと明治2年の築城でした。江戸時代が終わってからの築城というのは意外な感じがします。
ただ、考えてみれば人々の営みは年号によって支配されるのでは無いのですよね。
年号が代わり江戸幕府が大政奉還をしたからと言って突然何もかもが変化するというのは現代でも考え辛く、なので明治維新のあの頃ならば当然、今までとこれからの移り変わりは、時間があったと思います。
少し細かく時代の背景を言うならば
版籍奉還で遠州掛川の大名太田資美がやってきて稜堡式という五稜郭と同じ西洋風の城を建て始めた。
という事のようです。
ただ明治七年には廃藩置県を受けて築城を中止したという事で完成を見ない幻の城となったのですね。
ちなみに太田資美は江戸城も築城した太田道灌の子孫でその彼がどんな城を建てたのか、完成も見たかったような。
まぁ、このあたりの土地では江戸時代には、それなりに繁盛した地域もあったようなのですが
明治になり政府という形でどんどんと西洋化が進み
そして、戦後はいっそうの中央に集まる仕組みが出来上がったようで
以前の繁栄は嘘のようになっています。
松尾という地域は、お城を建てていた時には侍屋敷が並び、一瞬の城下町的雰囲気があったのかも知れませんね。








by furusatodiscovery | 2015-04-06 21:59 | 千葉
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